萌鉄'98 パート3
「黒石線、二度目の廃止に敬礼」
3月28日、盛岡にいた。本日はいよいよメインイベント、弘南鉄道黒石線に乗るのだ。
ユーミンの『緑の街に舞い降りて』(盛岡の歌)を歌う暇もなく、盛岡から花輪線の列車に乗る。
車両は昨日もお世話になった超萌え気動車キハ52(もちろん1両編成)。重い車体をうねらせながら、天下の東北本線を走る。そして好摩、ここからいよいよ花輪線に突入する。
花輪線(はなわせん)。東北本線の好摩(こうま)と、奥羽本線の大館(おおだて)を結ぶ線。列車は1〜2時間に1本程度の準ローカル線ではあるが、盛岡方面と弘前方面を結ぶ最短ルート(秋田新幹線で秋田を経由するより速い)であり、快速列車も走る(快速はキハ58)。
好摩を出ると、広野を通り、林を抜け、山の中へ・・・。ハイライトは安比高原(あっぴこうげん)周辺か。まだまだ雪も残り、小川には雪解け水が優雅に流れいている。線路のすぐ横に小川が平行し、窓から手を伸ばせば水に触れそう(それはオーバー)。左は断崖絶壁、右には小川、その向こうは林と、前人未踏のような地を走る。
また、盆地のようなところでは、雪の残った山々をバックに写真を撮るとすばらしそうなところを通り、よく晴れていたこともあり、ソレらしい人がたくさん沿線で三脚を立てていた。写真を撮るには絶好の路線かもしれない。近くならデフォ路線に加えたいところ。
そうこうしているうちにスイッチバック駅の十和田南(とわだみなみ)に到着。ここで向きを変える。ここからはちょっと郊外・・・、というようなところを走る。あまり書くことがない。
で、盛岡を出てから3時間強、終点の大館に到着。
大館からはいよいよ弘南鉄道弘南線との接続駅、弘前(ひろさき)を目指す。
が、奥羽本線は特急も走る大幹線なのだが、列車本数、特に普通列車がやたらと少ない。18きっぷならここで3時間近く足止めを食らうところだが、ミニ周遊券は特急券さえ買えば特急に乗れる。そこで、ちょうど来た特急「かもしか」に乗る。大館→弘前の特急券は640円なり。
特急「かもしか」は秋田と青森を結ぶ列車。ほぼ満席だった。そうこうしているうちに、いよいよ弘前に到着。ここからは弘南鉄道弘南線に乗り換える。
弘南鉄道(こうなんてつどう)弘南線(こうなんせん)。弘前を中心にして走る私鉄路線。3路線あり、そのうちの弘南線は弘前と黒石を結ぶ。
弘南線の印象は・・・、なんというか、下町の電車(笑)という感じでなんだか懐かしい。車両は昔の東急のものか?10年前にタイムトリップした感じ。
弘前を出ると、やはりスバリ下町のようなところを走る。いいですねぇ。下町と田園風景を眺めながら、30分ほどで黒石に到着。いよいよこの旅のメインとなる弘南鉄道黒石線に乗り換えだ。
弘南鉄道黒石線(くろいしせん)。黒石と奥羽本線の川部(かわべ)を結ぶ線で、最初は国鉄の路線として開業した。
その国鉄黒石線も、国鉄赤字線として廃止され、弘南鉄道が引き取って私鉄の路線として存続したという経緯を持つ。しかし、やはり赤字路線であることに変わりはなく、弘南鉄道の努力も虚しく、ここに来て廃止となってしまった。つまり、黒石線は2度目にして本当の廃止を迎えることになった。
3月31日までの営業のため、最後の土日となる今日はソレらしいマニアの人がいっぱいござった。
発車まで40分もある。どうしようか。そうだ、旧国鉄黒石駅へ行ってみよう。黒石駅は、昔は弘南鉄道と国鉄の駅が数百メートル離れたところにあり、弘南鉄道に移管するときに線路を弘南鉄道黒石駅に乗り入れるようにして付け替え、国鉄黒石駅は廃止になった。その国鉄黒石駅跡は、線路も駅舎もないが、跡地はそのまま空き地になっており、線路があっただろうところは盛土高架になって続いていた。その盛土高架をたどっていくと、水路を渡るところには橋桁が残り、と、くっきりとした廃線跡が残っている。しばらく進むと踏切に出る。ちょうどこの踏切のところで旧線と新線が合流する。新線は弘南鉄道黒石駅の方向から大カーブでやってくる。しかも、遮るものがないからここは絶好の撮影ポイントだ。やはり、おマニアさま方々がすでに数名、カメラの準備をしてござった(笑)。で、私も混ざる(爆)。
しばらくして、キハ22が1両でやってきた。旧線をバックに大カーブを果敢に走る哀愁列車を写真に納め、こんどは黒石線唯一の中間駅、前田屋敷(まえだやしき)へ向かう。ここはタクシーを使った。千三百円なり。
前田屋敷に到着。みごとに寂れた駅。駅というよりは停留所か。ホーム1面と寂れた待合室があるだけ。他に何もない。みごとに何もない。
次の列車、黒石行きが来るまで30分程度ある。ぽけたんとして待っていると、パラパラとマニア様らしき人が集まってきた。ここはほんとに何もないので、まっすぐ川部方面へ続く線路は地平線から出ているのではないかと思う(オーバー)。空が曇っていて、今日は岩木山をバックにして撮れないのが残念だ、とマニア様は言う。
そして地平線の彼方から(だからオーバー)哀愁のキハ22がやって来る。やって来ざまを写真に納め、すぐさま列車に躍り込んだ。
車内はほぼマニア様で満員。通常の乗客とみられるのは数人。黒石線最後の宴か。
木で出来た床、ブリバリいうエンジン。古き良き日の鉄道という感じで無くなってしまうのが惜しい(いや、これだから無くなってしまうのだろうが)。ほんの5分程度で黒石に到着。
黒石駅では、さよなら黒石線グッズ(謎)の即売会が開かれており、マニアの局地(失礼)のような人がマニア様相手に売り子をしておられた。私はタペストリーを買う(笑)。
黒石駅構内には朽ち果てたキハ21も置いてあり、これらが全て無に帰すまであと4日とは。
こんどは再び黒石線に乗って川部を目指す。もう一生乗ることのない列車は、ゆっくりと黒石を出る。弘南線と離れ、写真を撮った大カーブを曲がり、国鉄旧線が近づいてきて合流、踏切を渡る。広野を駆け抜け、哀愁の前田屋敷に停車し、再び広野を走ればアッという間に川部に到着だ。
川部の黒石線ホームの外側には線路が何本も並んでいるが全て草ボーボーで哀愁漂う。この4番線も、あと4日で消える。
そうこうしているうちにキハ22は再び黒石目指して発車。それを見送って永遠の別れを告げる。
すると、そこにいたセーラー服のねーちゃんが、線路に降りてスタスタと草ボーボーの線路を横断しはじめた。川部駅の出口はこちらとは反対側にしかなく、草ボーボーの線路側に住んでいる人は遠く離れた踏切まで迂回しなければならないかららしい。なんとも優雅な世界だ(笑)。ちなみに、川部駅の改札は列車を降りたときにその場で車掌(ワンマン列車は運転手)がするので心配はない。事実、駅舎の改札は機能していなかった(駅員はいるが、みどりの窓口専任のよう)。
川部からは奥羽本線の普通列車に乗って弘前に行き、今夜はそこで宿をとろう。
と、待っていると、また黒石線のキハ22がやって来た(笑)。奥羽本線の列車も少ないため、もう一往復できたんだ。ちょっとしまったなと思いつつ(何がだ)、やって来た奥羽本線の列車に乗って川部を出る。キハ22が遠のく。もし次にここに来たとしても、もう黒石線はない。
戻る
萌鉄メニューへ戻る
トップページへ戻る