萌鉄2000 パート1
 「鉄馬は走りたい 韓国鉄道京義線」

ミカ3形蒸気機関車


 今回の萌鉄は趣向を変え、異国の地、韓国の鉄道といこうではないか。

 韓国の鉄道は、基本的に全て公営で、国が経営する国鉄と、公団が経営する地下鉄の2種類しかない。私鉄というものは存在しないようである。
 そもそも韓国は、かつての日本がそうであったように、現在でも鉄道は準軍事施設で、それなりに緊張感が漂っているのである。
 ダイヤもかつての日本同様、必ずしも利用者優先には考えられていない。


 韓国の鉄道を萌鉄することになって、真っ先に選んだのが京義線。ここは韓国の鉄道の中でも、もっとも緊張感が漂っている路線である。

ここで一口コラム。
 さきほども書いたように、韓国の鉄道は準軍事施設である。そのため、日本のように気軽に写真撮影をすることができない。鉄道のまわりには基地などの軍事施設があり、それをむやみに撮影していると、妖しい人としてアーミーに連れていかれてしまうのだ。


 国鉄京義線(キョンウィソン)。「線」は「ソン」と発音すること。

 韓国の首都ソウル(旧名:京城)と、北朝鮮の新義州を結ぶ半島縦断鉄道・・・だったが、民族分断により京義線は38度線で2つに分断。現在、韓国側はソウルとシ文山(ムンサン・・・漢字がないけど、さんずいに文)を結ぶ46kmのローカル線に成り下がってしまった。
 かつては半島縦断の高速列車が駆けぬけた路線だが、今は全車普通席で各駅停車のトンイル号が1時間に1本走るだけのダイヤである。


 ではソウル駅から出発。ソウル駅は東京駅に似た赤レンガ作りで首都の駅として貫禄がある。駅舎内にはデパートもあり、ここだけでもかなり楽しめるだろう。また、小さな鉄道博物館も駅舎内にあり、列車の待ち時間をつぶすにはちょうどいい。

「ムンサンカジ ハナチュセヨ」(ムンサンまで1枚下さい)

 切符は硬券だ。で、運賃は1500ウォン(約150円)。日本でJRに46kmも乗ったら800円くらいにはなる・・・安い!!

 韓国ではディーゼル機関車牽引の客車列車がまだまだ多く残っているが、京義線は気動車であった。車内はほぼ満員、利用客はけっこうあるのになぜこんなダイヤなんだろうか。


 ソウル駅を発車したが、一行にスピードが上がらず、のそのそのそのそ走る。時速40kmくらいだろうか。よくよく見てみると46kmを1時間20分かけて走っている。評定速度が37kmしかない。そりゃ遅いはずだ。

 それにしても、韓国の鉄道はあまり合理化が進んでいないのか、古き良き時代のかほりがぷんぷんして旅情をそそる。特に感じたのは、大きな踏切にはそれぞれ駐在所みたいなものが設置されており、列車が来るとガードマンのような人が踏切で交通整理をしているのだ。これが各踏切毎にいる。すごい人件費だ。駅もほとんど有人駅で、無人駅は数えるほどしかない。日本なら、終点以外は全て無人化されよう。そんな駅が続く。

 要は、やはり準軍事施設なのである。鉄道がいかに大切にされているのかがうかがえよう。

 途中、韓国の次世代高速鉄道KTXの車両基地建設現場が車窓から見える。KTXはソウルと釜山(プサン)を結ぶ予定だが、ソウルからは京義線に沿って回送線が建設され、江梅駅(カンメヨク・・・「駅」はヨクと発音すること)の近くに車両基地が建設されている。


 途中まではわりと市街地だが、序々に山へと入っていく・・・。1月ということもあり、川が凍っている。

 そうこうしているうちに終点のムンサンに到着。とはいえ、全然終着駅の趣はない。それもそのはず、かつてはただの中間駅で、現在もその先へと線路が続いている。この先には一般人が気軽に訪れることができる韓国の北の果て、臨津閣(イムジンガク)がある。臨津閣へはバスで行くのだが、待っても待っても来ない。1時間に1本しかないようだ。しかたがなく、タクシーに乗ると、線路を越える跨線橋を渡る。当然、線路はある。しかし、列車は走らない。その先には踏切があり、警報機もあれば遮断機もある。どう見ても現役の鉄道だが、列車は走らない。線路はその先で途切れているらしい。線路の果ての部分は見られなかったが、タクシーの運転手が、ちょうどここらへんで線路が途切れていることを(韓国語で)教えてくれた。
その先、臨津閣に近づくと盛土高架の線路が近づいてくるが、レールははがされている。川には橋台と橋脚が残るのみで、ガーダーも撤去されている。


鉄馬は走りたい
 臨津閣に着く。ここは一応は観光地だが、ひっそりとしていて、それなりに緊張感がただよう不思議な場所だ。戦車など、戦争関係の展示物が多いが、敷地内の京義線の線路跡のレールが一部残してあり、そこに蒸気機関車と客車が静態保存されている(タイトルの写真参照)。
 その記念碑には「鉄馬は走りたい」と書かれており、民族分化による鉄道分断の悲劇を物語っている。


 この先には自由の橋という鉄道橋梁を流用した道路橋がかかっており、北朝鮮との国境にある板門店(パンムンジョン)へと続いている。
 写真は臨津閣の展望台から望んだ、朝鮮戦争で破壊された京義線の橋梁(右)と、その代替のために仮の橋として作られたが、現在は道路橋となっている自由の橋(左)。
自由の橋(左)

 萌鉄2000パート2へ続く。


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