センチメンタル名松線

調査時に思ったことを写真付きでお送りします。
このページは私(NT-3)の感情赴くままのページであり、客観性はございません。


 写真はクリックすると拡大されます。戻るときはブラウザの「戻る」ボタンを押して下さい。

 松阪駅にて。
 最終列車でしか拝めなかった行先「家城」の表示。
 もう「伊勢奥津」の文字を拝むことはないのだろうか。
 朝日にまぶしい「家城」の方向幕。
 昔はこの方向幕が見たくて最終列車を見に来ましたが、
まさかこれが常時見られるようになってしまったとは。
 「伊勢奥津方面」
 間違ってませんよね。確かに間違ってませんよね?
 この列車は伊勢奥津(の方)行きです!!
 絶対そうです。ホントです。信じて下さい。
 「終点家城」
 驚きませんよ。最終列車はいつも「終点家城」だから。
 車内放送のテープもいつもと同じです(最終列車用ですが)。
 でも、線路の先を見て絶句。
 信号機に「×」。その後方に車止め。
 なんと、「いせたけはら」がテープで消されていました。
 ここが終着駅になってしまうのでしょうか?
 いえいえ、復旧したときにすぐはがせるようにテープ
なんですよ・・・ね?
 下りホームは閉鎖されていました。
 駅舎側の線路とホームだけでピストン運転です。
 「松阪行」と・・・あれ、「伊勢奥津行」がありません。
 「伊勢奥津行」は運転再開時にすぐ掲げられるよう
大切に保管されているに違い有りません。
 一応列車が転換できるように、交換設備の外側に
車止めが設置されたのかな?
 いえいえいえいえ、この車止めは運転再開時に
すぐに取り外せるように簡易的に設けられただけで、
ここが終点になるという意味ではありません。
ホントです。そう願います・・・。
 腕木式信号機に代わって2004年から使われている
色燈式信号機にもバッテンが・・・。この信号機に明かり
がともる日は再び訪れるのか?!

家城まではいつもと変わりません。キハ11が元気に走っています。
でも、家城に着いて絶句です。
わかってはいても、この光景はショッキングですね。
一日も早い再開を願います。

 とはいえ、実際には難しいのではないかと思っています。
 いえ、復旧作業が・・・ではありません。
 復旧そのものは言うほど多額の費用がかかるわけではなさそうです。
 高千穂鉄道のように路盤が全部なくなったり橋梁が流出したり、駅が壊滅したとかではないからです。

 問題は、この災害があってもなかっても、「いつか廃止される」という状況にあったということです。
 この状態で未来永劫走り続けられることはないということはみんなわかっていたはずです。

 JR東海も、いつかは廃止しなければならないと思いつつ、そこまで追い詰められていなかったし、
企業イメージを傷つけてまで廃止するのは避けたいと思っていたと思います。
 しかし、「被災」というまたとないチャンスがやってきてしまいました。
 ここで廃止しなければいつ廃止するのだ?JR東海はそう思ったはずです。
 そして、地元の理解を得るため、「復旧は困難だ」と思ってもらえるような被害レポートを作成し、
バスでは運賃体系を維持して走らせる、松阪〜家城は存続させると、これ以上はない好条件を
出して理解を求めました。すばらしい対応だと思います。

 そして、それで地元民は納得したのでしょうか?
 答えはノーでした。
 最寄りの鉄道がある日突然なくなる。
 それはその利用者から見れば、赤字ローカル線なのか大幹線なのかは関係ありません。
 生活の足を奪われるのです。
 利用者が多いのか少ないのか、それは客観的に見ればそうですが、利用者にとっては
「私が利用している鉄道」なのです。それは名松線だろうが山手線だろうが変わりません。
なくなったら困るのです。
 私が家城から伊勢奥津まで代行バスに乗ったとき、3人のおばあさんたちが伊勢竹原から
乗ってきました。おばあさんたちは伊勢八知で降りるまで、ずっと名松線のことばかり話して
いました。昔はどうだったとか、嫁に来るときに乗ったこと、そんな話ばかりでした。
名松線とは、地元の方にとってそういう存在だったのでしょう。
その中で「わしが生きとる間になくなるとは思わなんだわ」と言っていたのが印象的でした。

 それでは行政はどうでしょうか?
 美杉村・・・いえ、今は津市美杉町ですが、1982年の台風10号被災時には、地元パワーで
当時の国鉄を動かして復旧にこぎ着けました。今回も廃止が表明されるとすぐに声を上げました。
現在、ボールは地元に投げられています。今後、自治体がどのような対策を出してくるのか、
それを心待ちにしたいと思います。

 そしてそして、私NT-3の完全個人趣味的な理想図です。
 地元の嘆願により、JR東海が復旧に合意したとしましょう(あくまで仮の話ですよ)。
 復旧費用は地元とJRが分担し、山林部の復旧とさらなる災害対策は地元負担、線路部分の
修復はJRが負担して再び列車が伊勢奥津駅まで走るようになりました。
 でも、これで終わってはこれまでと同じです。
 地元は名松線を守る意識が高まり、名松線と連動した観光企画を打ち出す。
 町作りも、名松線沿線を中心に行い、企業誘致、住宅地の造形を行う。
 今でも観光シーズンには列車が満員になるほどの観光客が押し寄せるのだから、伊勢奥津駅
から三多気の桜までは臨時バスを走らせるなど対応し、そして、それをちゃんとキャンペーンする。
こういったところから始めて町の活性化をしていく。

 鉄道そのものの観光化であれば、蒸気機関車の運転やトロッコ列車の運転などが考えられるが、
これはJRの考えによるところが大きく、JR東海が名松線で企画するとは考えづらい。
 そうすると、名松線全線を第三セクター化して地元経営にして大胆な発想で変えていくしかない。
そもそもこのようなクラスの第三セクター鉄道は全国にあるが、他は時代に合わせて駅を新設したり
運転ダイヤを便利にしたりと改良してきた。しかし名松線は駅は増えてないし、ダイヤも変わってい
ない。例を挙げれば、権現前〜伊勢八太間は区間も長く、その中間に虹が丘という名松線開業時には
なかった新興住宅地も出来ている。ここに駅を作らない手はないだろうという場所を素通りしている。
第三セクター鉄道なら真っ先に駅を作るだろう。地元も経費を負担しているから気兼ねなく意見を出せる
し反映も出来る。JRに言っても聞いてくれない、やってくれないでは埒が明かない。
 JR東海も、第三セクター化とまでいかなくても、地元の負担でという条件でいろいろやらせてあげれば
いいと思うが、企業体質からそれは難しいだろう。なにせ、伊勢竹原駅に時計を設置しようとした地元の
人に対して、「この時計が遅れて列車に乗り遅れたと言われると責任とれないから」と言って設置を認め
なかったほどである。(・・・後に「この時計はJRとは関係がありません」と書かれた注意書きをして設置
したが、最終的には撤去されている。)

 とはいえ、最終的に決めるのはJR東海と自治体である。JR東海の答えはもう出ているので、あとは
自治体が動くのか、それとも動かないのか、私はそれを見守ることしか出来ません。
 このサイトが少しでもお役に立てれば幸いですが・・・。


戻る