萌鉄'97 パート1
「紀勢本線沿線、私鉄の雄2線でタイムトリップ」
3月8日だ。そう、今日は京橋と尼崎を結ぶ片福連絡線こと「JR東西線」の開通日である。
とりあえず、いつものように関西線の名古屋始発列車で出発!名古屋始発は5:54と遅い。その前に桑名始発5:50というものがあり、これには近鉄の名古屋始発急行(5:30発)が接続している。ホントはこれに乗ろうと思ったが米野からの連絡がよくないため名古屋まで歩いていたら間に合わなくなってしまった(コンビニ寄ったのがいけないのだが)。
関西線に乗っていると、平行する近鉄名古屋線の黄金(こがね)駅を過ぎたあたりで、近鉄線の高架工事が行われている。これは、近鉄でいう烏森(かすもり)から八田のあたりはJRと近鉄が踏切を共有しており、ラッシュ時は開かずの踏切になるため、それを解決するものである。まず近鉄が高架化され、次にJRが高架化、それと同時にJRは複線化される。関西線の名古屋口は未だに単線だが、近鉄と道路に挟まれて用地がないため、複線化は絶望とされていただけに吉報といえよう。そして、JR・近鉄・地下鉄が交差しているのに駅がバラバラで乗り換えに不便な八田駅も、金山総合駅と同様に総合駅化される。
余談だが、私が通っていた高校は烏森駅の近くにある。当然、開かずの踏切を渡って登校する人も多い。普段はダイヤが考慮されていて小刻みに開いたり閉まったりしている開かずの踏切だが、JRか近鉄、どちらかが少しでもダイヤが狂うと悲劇が起こる。聞いた話では、過去最高40分間も閉じたままだったことがあるとか?そのため、私の高校ではこの踏切を渡る人は、列車が遅れて遅刻した場合は遅刻を免除されるという、はたから見れば謎な制度があった(電車通学しているならともかくね)。
まあ、それはさておき、列車は順調に亀山に到着、そのまま加茂行きに乗り換え、それまた順調に加茂に到着。で、今度はそのまま大和路快速に乗る。
そして、木津。JR東西線の列車が発車するホームは人がたくさんいた。カメラを構えている人も多い!おぉ、鉄な人がいっぱい・・・だが、私はそのまま木津を通り過ぎるのであった(をぃ)。
で、天王寺。ここからは阪和線に乗る。和歌山行きの快速に乗り、まあ、なんてこともなく和歌山に到着。で、なんてこともなく紀勢本線御坊行きの普通列車に乗り換える。
途中、海南に着く。ここは3年ほど前に廃止された「野上電気鉄道」との接続駅だ。まだ廃止されて間もないのでその遺物が残っていることを期待していたがなんと!海南駅は高架工事の真っ最中で、野上電鉄の連絡口駅があったあたりはすでにJRの上り線高架が建っていた。現在、下り線の工事が進められ、地上に残された下り線のホーム端に残る野上電鉄への踏切も片側だけになっていた。これも近いうちに消えよう。野上電鉄の廃線跡は近いうちに探索したいものである(賛同者募集中(笑)・・・いないか)。
そして、そうこうしているうちに御坊に到着。ここは紀州鉄道との接続駅だ。
紀州鉄道(きしゅうてつどう)、御坊駅と西御坊を結ぶ全線2.7キロの日本最短営業キロ数の鉄道である。出迎えてくれたのは「キハ603」、もうこんなのどこにも走っておらず、おおかたウン十年前に廃車になって静態保存されつつも忘れられてボロボロになっているのがオチだが、ここでは現役だ。近代化とは無縁の世界で、30〜40年前にタイムトリップしたような気分。
列車はユラユラと御坊を発車。「ゴトゴト」というよりは「ユラユラ」で、線路の状態が悪いのか車体が古いのか(たぶん両方)、とにかく揺れに揺れまくる。中央線の振り子列車も真っ青だ(苦笑)。中間駅は3つ。市街地のど真ん中を超レアな車両が走り抜ける様はまさに異様といえよう。
途中、紀伊御坊駅の元交換設備の片割れと思われる側線に朽ち果てている(ように思われる)キハ605が留置してあった。紀州鉄道の在籍車両は3両のはずなので、キハ604が隣にある車庫の中に隠れているのだろう。キハ603が車両検査のときはキハ604が出動するのだろうか。とすれば、キハ605はもう廃車になっているのだろうか。
列車は終点西御坊にあっという間に到着。かつて西御坊から先、日高川まで線路は続いていたが近年廃止された。線路は100メートルくらいいったところで止まっていた。西御坊に着くと、乗客のほとんどが駅南側の廃踏切のところへ行き、突然記念撮影をはじめた。「こ、こいつらみんな鉄か!」と思いつつ、自分は北側から撮影をする(でも逆光)。
で、またユラユラと出発。御坊へ帰ってきて時は現代へ戻る(をぃ)。
こんどは紀勢線を戻る。和歌山行きに乗り、朝通過した藤並で降りる。ここは有田鉄道との接続駅だ。
有田鉄道(ありだてつどう)、藤並と金屋口を結ぶ鉄道である。かつてはミカン輸送の貨物営業がさかんだったらしいが、それが廃止されてからは寂れる一方で、旅客列車6往復中4往復がJR湯浅まで乗り入れ、という運行形態も崩れ、一日4往復へ減少、JRへの乗り入れも廃止。あげくのはては日曜・祝日は列車全面運休、バス代行・・・、とあっては、もはやこれまでか、と思わざるをえなかった(まさに廃止パターンの王道)。
藤並からはまず、有田鉄道バスで金屋口まで行く。
金屋口駅に着いたがまったく人気がなく、すごく寂しい。が、ホームへ行ってみると、そこにはなんとレールバス(ハイモ180)が待っているではないか。有田鉄道といえば、キハ58が3両在籍していて、そのうちの1両はこの世に1両しかない両運転台キハ58だったハズ。レールバスを導入したのは最近らしい。わざわざ新車両を導入するくらいだから、まだまだ先行きは明るいと見てよいのだろうか。と、そのとき、掲示してある張り紙が目に入る。「3/8、JRに合わせて時刻改正。列車は1日5往復へ増発」、おぉ、今まで寂れる一方と思われた有田鉄道だが、新型車両と列車増発でなんとなく先行きは明るそうである。よかった。
じゃあ、キハ58はどうしたんだ。実はありました。残念ながら有田鉄道の在籍車両はハイモ180を含めて2両で、キハ58も2両廃車になったようだ。しかし、この世に1両しかない両運転台キハ58はまだ現役で、ハイモ180が車両検査を受けるときは出動するそうだ。
長くなったが金屋口を出発。15:38分、本日の終電だ(苦笑)。途中駅は3つ。どれも寂れまくっている。駅舎は荒廃し、まるで廃線後に残された廃駅舎のごとく。でも、まだまだみんな現役だ!線路もボロボロだが、紀州鉄道と違って新型車両だから、乗り心地は・・・細かいことは気にするな!有田鉄道はこれでもかといわんばかりにミカン畑の中を通る。右を見ても左を見てもみかんみかん・・・、これほど個性的な車窓風景も、そうあるものではないだろう。
楽しい時間も終わり、終点の藤並へ着く。藤並発も、この列車の折り返しが終電だ。こんな太陽がさんさんと輝く中を終電が出発していいのか?まぁ、今後の増発を期待します。
さっき書き忘れたが、藤並駅の近くに「汽車ポッポみかん号」(謎の名称)とかいうD51が静態保存されている。藤並駅のホームにでっかい案内看板があるのですぐわかる。でも、あまり整備されていないようで、結構ボロボロだった。
さて、メインイベントも終わり、あとは家路につくのみ。紀勢線和歌山行きに乗る。で、和歌山。ヒマだから、そのまま紀勢線の盲腸線?で和歌山市へ行く。盲腸線とは失礼で、これが本家本元の紀勢本線。紀勢本線は亀山から和歌山ではなく、和歌山市が正解。とはいえ、和歌山〜和歌山市間は完全区間運転のみで、ここから外へ出る列車もなければ中へ入ってくる列車もない。昔は南海経由の特急が走り抜けたかと思うと涙を誘う。まさしく、中央線の辰野〜塩尻間のようだ。
また和歌山まで戻ってきて、そのまま天王寺へ。で、加茂、で、亀山。で、名古屋、で、米野。旅は終わった(なげやりな文章)。
ところで、関西線の名古屋〜亀山間。南紀や快速みえ、四日市〜河原田間に乗り入れている伊勢鉄道車両を除けば、そのほとんどが213系のみで運行されているが、一部別の車両も走っている。国鉄時代の関西線の生き残り165系(213系登場前は165系ばかりだった)、中央線のエース103系(もちJR東海カラー)が1往復走る。あと、昼間時は213系の2連だが、ラッシュ時は4連、6連になる。だが、たまに5連というのを見かける。213系の5連は中途半端だからおかしい。そう、それは211系3連と213系2連の合体5連である。車両のバラエティがないといわれる関西線だが、こうしてさぐれば色々出てくるもんだ。
で、結論。実は今回、有田鉄道がメインのハズだったが、実際タイムトリップできたのは紀州鉄道のほうで、心配していた有田鉄道はしっかり近代化されていた。それはそれでとてもよいことだ。
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