萌鉄'98 パート2
「哀愁の岩泉線」
3月31日で、弘南鉄道黒石線(旧国鉄黒石線)が廃止になるので、長期ロードになる萌鉄を敢行!正義の鉄拳「青春18きっぷ」以外にもアイテムを用意し、メインの黒石線以外にも萌えな路線を乗ってきました。
今回用意したアイテムは以下のとおり。
・青春18きっぷ(残り3回)
・青森・十和田ミニ周遊券(東京都区内版)
・ムーンライトながら指定券、名古屋→熱海
・ムーンライトえちご指定券、新潟→新宿
これらのアイテムがどのような効力を発揮するのかは、後のお楽しみということで。
まず、26日の「ムーンライトながら」で名古屋を出発。名古屋発は23:41なので、ここで18きっぷを使っては20分で効力切れとなってしまう。ここは当然、ながらが0時を過ぎて最初に停車する駅、そう「安城」までは普通乗車券で乗る(460円)。安城からは18きっぷに切り替えて東京を目指す。
4:42、東京到着。ここからは東北新幹線に乗ることにする。もちろん、18きっぷじゃ乗れないので、以前東京に来た時、密かに購入しておいた「青森・十和田ミニ周遊券(東京都区内版)」に切り替え、特急券のみを購入した。
6:03、東北新幹線でGo!まぁ、ここは特に書くことはないまま、釜石線に乗るため、新花巻で降りる。ちなみに、「青森・十和田ミニ周遊券」は、東北本線方面は東北本線を経路として好摩を入口としているため、新花巻で途中下車はできるが、釜石線には乗れず、再び新幹線に乗って盛岡へ行くことしかできない。だが抜かりはない。安城→東京で使用した18きっぷはまだ有効である。ここからは18きっぷに切り替えて釜石線に乗る。
釜石線(かまいしせん)、花巻〜釜石を結ぶ線で、内陸を走る東北本線から太平洋側へ抜ける。列車は1〜2時間に1本しかない準ローカル線ではあるが、急行列車も走る。
釜石線のホームへ行くと、ちょうど釜石行きの急行「陸中」が来た。が、18きっぷでは急行に乗れないのでやり過ごす。次に来るのは花巻行きの普通列車。釜石線をぶっこするためには新花巻〜花巻を乗らなければならないのでこれに乗って花巻を目指す。で、すぐに着く。
そのまま折り返し宮古行き普通列車になるので、そのまま乗る。この列車は釜石まで行った後、釜石で接続している山田線の宮古まで直通する列車である。車両はJR東日本の最新鋭ローカル気動車キハ100。
釜石線は最初は田園風景の中をのどかに走るが、次第に山奥へ分け入る。特に足ヶ瀬付近はすさまじく、山を一直線に登れないので、ぐるっと迂回して回る、通称「タコあたまトンネル」は必見。川沿いの急勾配路線を登ってぐるりと旋回、今度は対岸側に移ってまた登る。そのとき、谷の下の方にさきほど通った線路が見えるところはまさに圧巻。超萌え!
あと、釜石線は「銀河ドリームライン」という愛称が付いており、全駅にエスペラント語の愛称が付けられているのもユニーク。ちなみに、「花巻」は「チエールアルコ」、「新花巻」は「ステラーロ」、「陸中大橋」は「ミナージョ」、「釜石」は「ラオツェアーノ」といった具合。この愛称は車内放送でも告げられるので、全部書き留めておけば良かったかも?
そうこうしているうちに釜石に到着。ここではスイッチバック他や接続の理由でか、30分も停車する。のどかですねぇ。
そして、進行方向が変わり、山田線に突入する。
山田線、釜石〜盛岡を結ぶ線ではあるが、路線は釜石〜宮古、宮古〜盛岡の2つに大きく分かれる。釜石〜宮古間は列車本数も多く、急行も走れば三陸鉄道との直通列車も走る。宮古〜盛岡は完全なローカル線で、この間を直通するのは快速を入れて1日4本しかない。
釜石〜宮古間は、三陸海岸沿いを走るので雄大に広がる太平洋が美しい。ただ、この日は残念ながら雨ではあったが。
1時間ほどで終点の宮古に到着。4時間乗ったキハ100に別れを告げ、となりにいる岩泉行きに乗る。車両は超萌え旧国鉄気動車キハ52!JR東海地区では絶滅した車両だけに、生きた化石に出会えて感動の涙ちょちょ切れing大チャンス。
キハ52の走りっぷりは忘れていた何かを思い出させてくれる。重い、とにかく重い。気動車特有の気動音の高まり。なかなか動き出さない重い車体。
バリバリバリバリ…ブブブブ…ブロロロロロロロ…グガーーーー
↑このへんでやっと動き出す(笑)
レールのつなぎ目の通過音も、「タタンタタン」というよりは、「ゴゴンゴゴン」という感じ。惰性走行時も「シャー」というよりは「ゴー」という感じ。とにかく重さが伝わってくる。山田線はまだ線形が良いのか、それなりに飛ばして走る。老体に鞭を打つというか、あえいで走っているのがよくわかる。しかし、車体が重い分、安定しているのか揺れは少ない。
そんなキハ52に揺られながら、20分ほどで岩泉線の接続駅である「茂市」(もいち)に着く。この列車は岩泉線直通なのでそのまま乗っていればよいのだが、またもやこの駅で盛岡から来る山田線の列車の到着待ちのため、20分停車する。うーん、時間の流れが緩やかだ。このあたりは3時間に1本程度しか列車が来ないのでこうなるのであろう。
で、山田線の列車が到着し、乗り換え客が慌ただしくキハ52に乗り込むと、いよいよ超萌え岩泉線へと躍り込むのである。
岩泉線(いわいずみせん)、茂市〜岩泉を結ぶ日本有数の超ローカル線。列車は1日4往復しか走らず、うち1本は途中の「岩手和井内」(いわてわいない)止まりなので、実質3本しかないと言ってもよい。朝に1本、夕方2本のみである。
岩泉線は、国鉄時代に赤字ローカル線として廃止申請が出されたが除外条件に該当し、辛くもJR線として生き残った。
だが、岩泉線、結構乗客は多かった。たった1両の車両ではあるが、座席は全て埋まり、立っている人も多い。
岩泉線はとにかく山の中を走る。もうほんと、なんでこんなところに線路があるんだ、ってほど、周りには何もないところが多い。駅の周辺は民家もあるが、それ以外はほんとに山の中。人もいなければ家もない。時々家があって車が止まっているかと思えば廃屋で、車も朽ち果てていたりする。
特に「押角」(おしかど)周辺はすさまじく、こんな山奥の何もないところにある駅を利用している人がいるのか、と思うほどである(ここは往復中、結局誰も乗降しなかった)。
そんなこんなでも、乗るにはとても楽しい路線。山に分け入り、谷を越えて、トンネルくぐって渓谷沿いを走る。全てが絶景。車窓から目が離せない!!
楽しい楽しい時間も過ぎ、終点の「岩泉」に到着。てっきり無人駅かと思ったが、きっぷ売場があった。運転手と車掌の休憩所にもなっているようだ・・・、そういえば、岩泉線はワンマン列車じゃなく、ちゃんと車掌がいる・・・、まさしく近代化とは無縁の古き良き時代といった感じだ(見捨てられているのならヤバいが)。
ここは行き止まりなので戻るしかない。次の折り返し列車までは1時間ほどある。で、気になったのは、岩泉駅より先、結構向こうまで線路が伸びているじゃないか。岩泉線は元々、このまま進んで三陸鉄道北リアス線(旧国鉄宮古線)の「小本」まで繋がる予定だったんだから、その遺構か?これは探検するしか、ってことで進む。おそらく、作られてから一度も列車が通っていないだろう線路の上を歩く。しばらく行くと、行く手をブッシュが遮る。かきわけて進むとブッシュの中に埋まっているかのような車止めが現れ、線路は途切れていた。その間、100〜200メートルほどか。
車止めと、そこから見た岩泉駅に停車中の列車(中央の小さいものが列車)。
まぁ、岩泉駅に戻る。岩泉駅の片隅に、「岩泉線物語」という寄せ書きノートがあった。ここを訪れたマニアが書きつづっているものらしい。私も一言を残し、そろそろ発車する列車に乗り込む。
ふと気がつくと、列車の中はマニアと思われる人が数人乗っているだけ(^^;これが実体か・・・と思いつつ、再び楽しい時間が始まる。結局、ほとんど乗客のないまま終点の「茂市」に到着。岩泉線は完全な通勤・通学路線となっているようだから、朝は茂市方面、夜は岩泉方面の流れしかないんだろうな。
茂市から再び山田線に乗り換えて、こんどは盛岡を目指す。やって来た車両はキハ58。全国的に有名な車両で、私の家のすぐ近くにある名古屋車両区にも腐るほどいる車両だ。でも、色が違うから新鮮?。
山田線に乗った頃はすでに外は真っ暗で、車窓風景は眺められなかったが、ほとんどずっと真っ暗、すなわち、町の明かりなどはほとんど見られなかったので、昼間に通ればかなり萌えな路線だったのかもしれない。
20:40、盛岡到着。今日はここで宿をとる。
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